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 本質を見る 



やっと書く気になれた。



実は先月初め、
尋常ではいられない恐怖と出会った。



人は、
自分が理解できないものに恐怖を感じるらしいが、
まさにまったく理解・予測不能な出来事だった。


私は子供のように怯え、

でも、自分は大人なんだから、と、
大人らしくそれに向き合おうと頑張ったけれど、
恐いものは恐い。


本能(根源?)に近い部分の心というものには、
子供も大人もないのだな、、と初めて知った。



家族や友人、時間に助けてもらいながら、
何とか今まで過ごしてきた。


そんな中、
友人の一人が、ホメオパシーという療法を
試してみてくれた。


説明を聞いてから、
小さな粒(レメディ)を2つほど試したのだけど、
私にはとても効いてくれた。


もちろん、それと同時進行で
優しい友人達が私の話をたくさん聞いてくれたし、
時間も止まることなく刻々と流れてくれた。


心遣いとか優しさをたくさんもらったから、
私が回復してきた理由は一つではないけれど、
その中に確かにレメディもあった。



何でこんなことを書くのかというと、
ホメオパシーに批判的な意見をたくさん見たから。



こういう療法とかエネルギー系であるとか、
そういう類には、必ずといっていいほど批判がつきまとう。


残念だなぁと、正直感じてる。



まぁ、批判的な意見の内容は、
まったく否定できるものではないし、
その意見を述べることももっともだとも思う。



ただ、どちらにしても、
残念だなと思うのは、拘ってしまうこと。

拘ってしまったことで、気づかないうちに
動けなくなってしまってること。



頑なにならず、拘りすぎず、
存在するいろんなモノを自由に取り入れるなら、
不必要な軋轢は起きない氣がする。


違いを認めることも大事。
相手を認めること。


優位性を求めてしまうのは
エゴであって、人を助けるためのものではないし、
妄信というのは何も見えていないこと。


自分を信じるだけで十分だと思う。

自分以外のモノやコトを、自分を信じることに
摩り替えてはいけない。


科学にしてもそうだし、療法やエネルギーにしてもそう。
それぞれの中には必ず、必要で良いものがあるはずだと思うけど、
扱う人の在り方次第で、毒にも薬にもなるということ。


占いも同じw



無意識でも、何らかの「枠」に拘っていると、
必ずその中身を妄信していくことになるし歪みが出てくる。


中庸が大事。


別に、どこにも属さないといって、
単なる真ん中(中立)を選ぶという意味ではなく、

ただただ、「本質」を大事にすることだと思う。

ちゃんと自分を信じて、
世の中にあるいろんなものに
もっと気楽に向き合えたらいいのにって感じる。



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