魂のレベル
普段ほとんどテレビを見ない(見れない:涙)私に
優しい友人が、ドラマなどをパソコンで見れるようにといつも録画してくれている。感謝。
先日、
最終回だった『1リットルの涙』。かなり号泣。。。(^^ゞ
病気、障害などを宿命で背負って生まれてきた方というのは魂のレベルがかなり高い方だと、以前紹介した本に書かれてある。
自分が障害を抱えていることで得たものを多くの方へ伝えることができる。
五体満足、尚且つあまり壁を感じることがナイ方ではなかなか得られない気づきであると思うし、
いかにして生きるか?とかどう生きるか?生きるとは何か?
などという、究極ともいえることに、気づかざろう得ない。
私が関わっているある保育園では、障害児教育を取り入れている。
だからいろんな障害を持つ子供達がいる。
行事などで子供達と一緒に過ごすことがあるけど毎回感動させられる。
どの子も分け隔てなく活動にも参加し、当たり前のように、できることをしているのだが、障害というネックをまったく感じさせないというかすごく自然なのである。
かなり学んでいる先生方はもちろんのこと、子供同士の関わり方には、はじめ戸惑いを覚えた。
そこに、同情というものはナイ。共感だけである。
つまりどこまでも対等。
障害のために、どうしても今の時点ではできない、ということだって当然あるのだが、そういう面では、当たり前のように手を貸すが、頑張ればできることなどには、手を貸さない。
はじめてその園を訪問した時、長い階段を脚が膝くらいまでしかないA君が必死で登っているところに出逢った。
私も登る途中だったが、足元で頑張るA君に手を貸そうとしたが、いきなり抱くのもいかがなものか、、?
ふと周囲を見ると、子供達がどんどんA君のわきを
トントントントンと当たり前のように追い越して登って行く。
『ちょっとあんた達冷たくない?』
と思っていたら、立ち止まっている私に気づいたA君が私を見上げた。
まるで太陽のような満面の笑顔。
手を貸してなどという表情ではなく、
『やぁ!』という心からの歓迎の笑顔。
そして、何事もなかったかのようにまた必死で階段を登りだした。
突然の眩しい笑顔に呆然とする私。ハッとした。。
このA君には、その後も多くの感動をもらったし学ばせてもらった。
私のこれまでの障害者に対する偏見を、見事に覆してくれた。
奇跡を見せてくれて、勇気や生きるということを深い部分でわかりやすく教えてくれた、人生の先生である。
彼は今はもう園にはいないけど、きっとこれからも普通だと途方もないと思えるような苦労や困難に対して、いともなく乗り越え、奇跡を起こし続けていくのだろうな。
魂を磨くこと、魂の成長を促す事象は、きっと雑然とした生活の中に多くあるのだろうけれど、根っこで気づいていても、なかなかできない自分を、情けなく思う。
でも彼の笑顔を思い出すたび、そうだった!と氣を入れ替えている。
まだまだ魂一年生ね。(^^ゞ
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